「真の民主化への歩みを着実に」
File.42016年4月13日発行
ミャンマーでは3月末、昨年11月の総選挙で国民の圧倒的支持を得た国民民主連盟(NLD:National League for Democracy)主導による新政権が発足した。心より祝福したい。
ビルマ(あえてビルマを使わせていただく)では1960年代に軍事政権が実権を握って以降、自由と民主主義が失われ、人権侵害が続いた。もちろん、労働組合への弾圧も例外ではなく、常に迫害の恐怖にさらされながらの運動を余儀なくされた。
軍事政権は、1989年6月、国連に対し「ビルマ」から「ミャンマー」への名称変更を届け出た。しかし、軍政を認めていないアウンサンスーチー女史を含む民主化を求める勢力は、引き続き「ビルマ」を使うよう呼びかけてきた。1989年と言えば、まさに連合が結成された年でもある。当時のICFTU(国際自由労連)をはじめ多くの労働運動においては、軍事政権を認めないとして「ビルマ」を使ってきた。もちろん連合も。
そのような情勢の中で、連合は2001年4月17日には、日本国内で活動するビルマ人民主化勢力の活動拠点として、ビルマ日本事務所を設立し、2014年3月末の閉所まで13年間支援活動を続けてきた。連合、ビルマ日本事務所が一体となって、在日ビルマ人の方々とともに、日本政府、国会議員へのロビー活動や、集会・シンポジウム・デモ行進など様々な活動に取り組んできたのである。
そのビルマも2011年春ティンセイン大統領が就任し、民主化への移行が始まった。我々が長年支援してきた「ビルマ労働組合連盟」つまり「FTUB」のマウンマウン書記長も2012年9月に24年ぶりに亡命先より帰国。その後、FTUB自らが「FTUM」つまりミャンマーの「M」に組織名を変更したことを受け、連合もビルマからミャンマーと呼ぶことにした。
この民主化の道筋の中で、ITUCがミャンマー事務所を設置することになり、その事務所長として乗り込んだのが前ILO理事・元連合総合国際局長の中嶋氏である。2012年から3年間、現地での民主化支援に終止符を打ち2015年末帰国した。この間のご努力・ご尽力に心より敬意を表したい。ちなみに、前述のビルマ日本事務所の最初の実務責任者も中嶋氏であった。
ミャンマーの民主化は依然として多くの課題に直面している。私たちは今後とも民主化と民主的な労働運動の発展を注視していかなければならない。