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『夢と生きる バンドマンの社会学』書評で書ききれなかった件

松岡 康司2024年6月 4日発行

書評では書ききれなかった「夢追い」
 弊所機関紙DIO5月号の書評コーナー「最近の書棚から」で、野村駿氏の『夢と生きる バンドマンの社会学』を取り上げた。書評にも書いたが、本書は、20代の若者を中心に、バンド活動を通して夢を追いかける人々の生き方と社会における位置づけを明らかにした学術書でありながらも、「夢追い」というテーマに焦点を当て、数多くのバンドマンからのヒアリングを元に、若者文化と進路形成の問題を深く掘り下げたユニークな一冊である。私の周囲からも珍しく書評への好意的な反応があったことからも、本書が取り上げたテーマへの関心の高さがうかがえよう。
バンドマンの「夢追い」の過程が、<若者文化>、<家族>、<教育>、<労働>という4つの領域との密接な関わりの中で形成されるという考察や公的な若者支援が正社員を前提とした標準的ライフコースのための就労支援政策に限定され、社会的なサポート体制が不十分であるとの指摘は私も大いに共感したところであり、書評もそこを中心に記載したが、ここでは「夢追い」に関して書評には書ききれなかったことを記したい。

バンドマンの「夢」に感じる疑問
 本書ではもちろん「夢追い」が定義づけされており、論述として成立しているが、バンドマンが語る夢を詳細に読み解くと、いわゆる芸能事務所に所属し大手レコード会社から音源を出すという「バンドで生計を立てる」系の夢と、「(バンドで)有名になる・お金持ちになる」系の夢に大別できる。「バンドで生計を立てる」が中間目標としてあり、その延長線上、最終的なゴールとして「有名になる・お金持ちになる」というパターンも少なからずあるが、後者はともかく「バンドで生計を立てる」ことが「夢」と呼ぶにはいささか抵抗を感じる。
 もちろん夢をどう持つかは個人の自由である。しかし「バンドで生計を立てる」ということ、言い換えれば事務所に所属し大手レコード会社から音源を出すということは、バンド活動が事務所のコントロール下におかれ、何よりも曲が市場で流通することが最優先される圧力の中で働くことを意味するのであって、バンドマンの多くが否定した標準ライフコースと本質的には変わらないのではないだろうか。つまり「バンドで生計を立てる」ということは「夢」というよりは、企業という枠組みの中で、バンド自体が商材であることを十分に意識した極めてビジネス的な思考がバンドマンには求められよう。

夢を持つことを無意識に強制される社会
 これは書評でも少しだけ書いたが、社会や大人たちは、若者に夢を追うことの素晴らしさをあらゆる媒体を通じて扇動する。もっと端的に言えば夢を実現し「お金持ち」になることがこの社会でもっとも価値のあるものであるかのようなメッセージで社会はあふれ、若者たちは常に何か為さねばならないと追い込まれているように感じる。迷惑系も含め、「YouTuber」がこれだけもてはやされているのは、このような背景があるのだろう。結果、若者には正社員という標準ライフコースが色あせて見えるのではないかとも思う。このように書くと夢を持つことにやっぱりケチをつけたいのではないか、と言われそうだがそうではない。バンドに話が戻るが、夢を追うバンドはいくらでもいる。売れなければ事務所や大手レコード会社はそのバンドと契約を解除し、次のバンドを見つければよい。それは、次々と売りだしたバンドの中で一つでも大当たりがでれば事務所もレコード会社も投資が回収可能なビジネスモデルが成立しているからだ。つまり社会や大人たちが若者に夢を持たそうとするのは、夢を追いかける若者から搾取できる構造があるからであり、そこが問題なのである。
 私は「夢追い」も標準的ライフコースのどちらも素晴らしいと思う反面、大事なことは、何を為すかではなく、どういう人間になるか(精神的な成熟)であると考えている。そのために一人ひとりがめざす人間になるために、多様な生き方ができる社会や教育が必要だと思うのである。搾取しようとする大人たちから自らを守るためにも。

関連リンク
機関紙『DIO』No.397(2024年5月号)
「最近の書棚から」
野村 駿著『夢と生きる バンドマンの社会学』
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio397.pdf

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